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『アルジャーノンに花束を』って読んだことありますか?
僕も昔から名前だけは知ってたんだけど、読んだのは自分が障害者になってからです。 それまでは無縁だと思われたもの(障害者)が、身近に感じられるようになったせいかもしれません。 生まれつきの知的障害者が手術で大天才になるという、およそありえない展開なんだけど、これが結構人間の本質にせまるもので、深い感動を覚えました。 知的障害者といってもイロイロだけど、僕の知ってるあのコは、いつもニコニコ楽しげな様子。 僕もあんなふうに疑うことを知らず、悩みもなく、毎日ニコニコしながら暮らせたらどんなにシアワセだろう・・・なんて思ったりもしました。 余計なことを多く知りすぎて不幸になるケースは多々あるようで、僕も障害者になるまでは通常では考えられないほどの濃い体験を重ねてきたので、そういう面があります。 また、障害者になったらなったで、今度はそれまでまったく知らなかった障害者の世界というものをイヤというほど知る羽目になりました。 あのコは毎日ニコニコ楽しそうだけど、きっと辛い経験もいっぱいしてるに違いない・・・ということもわかってきます。 清純だと思ってたあのコが、実は淫乱だったとわかってしまうようなものです(ちょっと違うか(笑))。 知識や経験を積むのは、人を蹴落とすためには必要だけれど、それ以外に一体何の役に立つんだろう? 人のためになんて言いながら、結局みんな自分のためだったりします。 人間のイヤな面を知る度に、僕は知識や知能を失くしてしまいたくなります。 『アルジャーノンに花束を』の中に、自分の将来を予感し、主人公チャーリィが重度障害者施設を訪ねるシーンがあります。 知的障害のうえ、さらに聾唖でもある人たちが収容されている施設だったと思います。 「なんと少ししか与えられていないんだろう!」 というチャーリィの驚き・・・。 このような人たちは、普段見かけることはないけれど、日本にも必ずいるはずです。 僕も、(自分の将来の姿であるかもしれない)精神障害でさらに盲聾という人たちがどこかにいるならば、訪ねてみたい気がします。 チャーリィと同じ目的で・・・・。 『アルジャーノンに花束を』 ■あとがき 知的障害者に悩みがない、というのは僕の思い込みで、正しくありません。 あのコに直接聞きましたから。 ただし、意思の疎通もはかれないほど重度の人はどうなのか、知りえませんが・・・・。 |
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