視覚障害者(網膜色素変性症)+聴覚障害者(感音性難聴)=アッシャー症候群。おまけに精神障害者(境界型人格障害(境界例))でもあり、身体障害者2級と精神障害者2級、2冊の障害者手帳を持つ男―自称スーパー障害者「ミスターK」。 人生半ばにして難病発病、障害者認定、そして刻一刻と迫る失明の恐怖…健常者から一転して重度重複障害者となってしまった「ミスターK」は、いかにしてその困難を乗り越え、障害受容へと至るのか? 中途障害者というファジーな立場とビミョーな心理、ドロドロした苦悩、葛藤を余すところなくぶちまける、怒濤の物語!! ※この物語はノンフィクションであり、実在の人物による体験談および雑談です。 |
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いつでも誰にでも起こりうること・・ って頭ではわかってても、心のどこかじゃ「自分には関係のないこと」 ・・・なーんて、思ってるんじゃないかな? たとえ身近に障害者がいたとしても、まさか自分の身にそんなことが起こるなんて考えもしないし、想像もできないはず。 この僕がそうだったように・・・。 実際になってみないことには、その辛さ、苦しみはわかりえないもの。 僕も実際になってみてはじめてそれを痛感したわけだけど、多くの同じような境遇にある人たちと接してみて、意外な事実に突き当たった。 それは・・ 障害者という同じカテゴリに属する人同士でも、障害の種類や部位、程度がほんの少し違うだけで、もうぜんぜんわかりあえないってこと。 仮にまったく同じ障害だとしても、僕のように人生半ばで障害を負った者と「生まれつき」の障害者とでは、これまたぜんぜん違うってこと。 でも、考えてみれば当然なんだよね。 障害の種類や部位、程度の違いは“個性”の違いのようなもので、普通の人(健常者)でもなかなかわかりあえる相手がいないのと同じようなもの。 中途障害者と「生まれつき」の障害者との違いは“年齢”の違いのようなもので、「生まれつき」の人は何十年もかけて現在に至ってるわけだけど、人生半ばで障害者になったばかりの人は生まれて間もない赤ん坊同然。 ・・ちょっと卑屈な見方をすると、「生まれつき」の人は始めからその世界しか知らないし、始めから持ってないんだから、何かを“失った”わけじゃない。 けれども、ある日突然障害を負った人は、それまでとはまるで違う世界にイキナリ放り込まれ、自由を奪われ、できてたことができなくなるんだから、それは酷い“喪失感”に苛まれることになる。 だから、あまりのギャップの激しさに、中途障害者がなかなか現実を受け容れられない(受け容れたくない)ってのは、無理もない話だよね。 もちろん、中途障害者にもいろんなケースがある。 ちなみに僕の場合は、知らず知らずのうちに病気が進行していたらしく、症状としてイキナリあらわれたわけじゃないので、実はあんまり実感がなかった。 その後もじわじわと病気が進行して、ある日気が付いたら、いつの間にか障害者になってた!って感じ。 でも、健常者と障害者との境界線なんてものはそもそもないんだし、障害者という定義もハッキリしないわけだけど? 例えば、聴覚障害なんかは手帳の認定基準が非常に厳しくて、ちょっとやそっとの難聴じゃ認定されないけど、現に生活に支障をきたしてても、障害者とは言わないんだろうか? 逆に、手帳の基準は十分に満たしていながらあえて申請しない人もいると思うけど、その場合は障害者じゃないんだろうか? 障害者かどうかって、一体誰が決めるんだろう?? まあそれはともかく、僕は自他共に認める立派な?障害者なので、障害者の、それも「中途」障害者の視点で、話をすすめていきたい。 かなりドロドロしたものになると思うので、要覚悟! |
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